@article{oai:ocuocjc.repo.nii.ac.jp:00000457, author = {Tokuyama, Yukinori}, issue = {10}, journal = {沖縄キリスト教学院大学論集 = Okinawa Christian University Review}, month = {Mar}, note = {ヘンリー・ジェイムズ(1843-1916)の長編小説『ある夫人の肖像』(1881)の結末シーンは、これまで多くの批評家を悩ませてきた。それは、アメリカ人の若い女性主人公イザベル・アーチャーが、結婚生活が破綻しているにもかかわらず、夫ギルバート・オズモンドが待つイタリア・ローマへと帰還することを決意する場面である。小論では、イザベルの理解しがたい決定を説明するものとして、彼女が抱く独立(自立)の概念を検討する。イザベルの独立の概念は、当初、経験が浅く、非実用的で、理想化されているが、オズモンドとの悲惨な結婚生活の経験を通して、また、オズモンドの結婚の目的を知ることによって、真の独立とは、自分自身の行動・結果に責任を持つことであるという新たな独立の概念を構築することになる。この修正された新しい独立・自立の概念が、オズモンドとの対決を決意させ、さらに、義理の娘であるパンジーを彼女の父親オズモンドから救済する目的でローマに戻る。彼女のローマへの帰還は、イザベルが他者の幸福に献身的にかかわることができるようになったことを示唆している。 寓話的な読みを採用して主要登場人物に帯びている象徴性を解釈すると、イザベルはアメリカの理念と特性を体現し、オズモンドは、そのアメリカの理念に背後にあるアメリカの闇の部分を体現しており、二人の「あり得ない結婚」は、アメリカ社会の肯定的な面と否定的な面の対峙を意味している。作者ジェイムズにとって、イザベルのオズモンドとの結婚生活の継続は、19世紀アメリカ社会が成熟していく過程には不可避的な文化・社会的な衝突を象徴していると結論付けた。}, pages = {13--19}, title = {Unconsciousness of Henry James? : Allegorical Reading of Dynamic of Human Relationship in The Portrait of a Lady}, year = {2014} }